アロマキャンドルの瞬間マジック

アロマキャンドルの瞬間マジック

彼のいない部屋はガランとして、空気が急にひんやりとしていった。

宙ぶらりんな気持ちをもてあました私は、しばらくの あいだ部屋の中を行ったりきたりしていたが、気分を 落ち着けようとシステムキッチンの引き出しの中から 1本のアロマキャンドルを取り出し、部屋の電気を消して火を灯した。

オレンジ色の淡い光がゆらめき始めると、甘いローズの香りがふわっと広がる。私は目を閉じて、深呼吸をした。

アロマキャンドルの瞬間マジック

行かないで。

彼が去っていこうとしたあの時、私はそう言いたかった。

今ならそれがわかる。

今になってこんな素直な気持ちになれるなんて。このキャンドルのせいかしら。

不思議ね。こうしていると、彼と過ごしたいろいろな時間を思い出す。

初めてのデートで笑い転げたコメディ映画。

ドライブをして一緒に眺めた夜景。そして、海の見えるレストランでの告白…いや、あれはプロポーズだったかな? たった2年前のことなのに、もうよく覚えていない。

アロマキャンドルの瞬間マジック

「1人より2人。僕が君を守るよ」

彼とは大学の音楽サークルで知り合った。私は1つ下の後輩で、彼は面倒見のよい優しい先輩。

一見おとなしそうに見えるけれど、「やるべき時は身を捨ててでもやる」という頼もしいところがある彼は、若くして人望もあった。

そんな彼は当然のことながら女性にとても人気があったし、私もひそかに憧れていたのだが、
どうせ私は彼の好みではないと最初からあきらめていた。

だから、夏の合宿で突然告白された時にはまるで夢のよう。

しばらく実感がわいてこなくて、全くもって彼女らしい振る舞いができなかった私。

周りからは「自覚がない」とよくからかわれていたっけ。

そういえば、あれは確か私の誕生日。彼が自分で作った歌を聴かせてくれたことがあった。

私の部屋に来るなり、彼はこう言った。

「君に捧げる歌を作ったんだけど、途中で居眠りしないでくれよな」。

そしてギターを手にする前に 「こうすると気持ちが盛り上がって、とてもいい声が出るんだ」と部屋の 明かりを消し、自分で持ってきたアロマキャンドルを灯した。

アロマキャンドルの瞬間マジック

おめでとう。今日は君の誕生日。23回目の誕生日。

16回目の誕生日のことは知らない。17回目のことも知らない。 でも、18回目からは知っているよ。

君は階段を一つずつのぼって、僕のところへやって来た。 たくさん笑ってたくさん傷ついて、そんな君を僕は両手を広げて待っていた。 今日は君の誕生日。

80回目の誕生日にも、僕はこうして歌を歌おう。
入れ歯がカタカタ鳴ったら、君は笑うかな。でも、笑うと君の入れ歯もカタカタ鳴っちゃうかもね。

心地よいメロディと甘く響く声。

アロマキャンドルの優しいゆらめきにうっとり…するはずだったのに、なんだろあの歌詞は。

でもそこが、照れ屋の彼のいいところ。 クスクス笑う私を横目で見ながら彼はしっかり3番まで歌い終え、それから私の大好きな スペシャルモンブランを一緒に食べた。

もちろんアロマキャンドルは灯したまま。

何しろ彼は、その時20本もアロマキャンドルを持ってきていたのだ(10曲くらい歌うつもりだったらしい)。

アロマキャンドルの瞬間マジック

それからというもの、彼と部屋で過ごす時にはアロマキャンドルを灯すことが多くなった。

「キャンドルの明かりで君が女優みたいに見える」

あら、あなたも影のあるいい男に見えるわよ」

そう言ってお互いを褒めあうのも楽しかったし、 よく子ども時代の思い出話も披露しあった。

彼の就職が決まった時も彼との結婚がほんのちょっぴり不安になった時も、 私たちはキャンドルの温かいゆらめきに包まれて喜びをわかちあい、未来を語り合った。

でも、ただ黙って一緒にキャンドルの炎を見つめている時が最高に幸せだったな。言葉がなくても心が通じ合うひととき…

それは、アロマキャンドルでなければ生まれない素敵なマジック。

あ、そうか。だから私は、今も自然にアロマキャンドルをつけてしまったんだ。

こうすることで、彼がそばにいるような気持ちになりたかったんだ。

彼に会いたい。ここにいてほしい。

アロマキャンドルの瞬間マジック

「ただいま」

突然彼の声がして、私はハッと我に返った。

「どうしたんだい? 部屋が真っ暗だったから、びっくりしたよ」

見ると、彼がニッコリ笑って立っていた。いつもの彼だった。

「もうそろそろ君の頭も冷えた頃だと思ってさ。 でも冷えてしまったのは、こっちの方だ。あ〜寒かった!」

彼は私を抱き寄せてそう言った。彼のひんやりした手が、私の髪をそっとなでた。

「…ごめんなさい」
「こっちこそ、急に飛び出してしまってごめん。なにをどう言えばいいのか、わからなくなったんだ」
「私ったらいつも自分のことばかりで…」
「もういいさ。そんなことより、なんだか部屋中に甘い香りがするんだけど?」
それはきっと私たちの思い出の香りよ。そう言いかけたら、彼が先に口を開いた。
「…歌でも歌おうか?君がアロマキャンドルをつけているせいかな。無性に歌が歌いたくなってきたよ」

彼は笑った。私も笑った。そして、ちょっと泣いた。

ケンカをしたのは、ついさっきのこと。

でも今、私はこうして温かいキャンドルとあなたの声に包まれている。
ごめんなさい。ありがとう。

この幸せな瞬間が、これから何度も何度も私たちに訪れますように。

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